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札幌地方裁判所 昭和42年(ヨ)302号 決定

申請人

森田恭子

被申請人

学校法人希望学園

主文

1  申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、昭和四二年四月一日以降本案判決確定に至るまで一ヶ月金三二、五五〇円の割合による金員を毎月二一日限り仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、申請人(申請の趣旨)

主文と同旨の判決

二、被申請人

1  本件申請を却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

との判決。

第二、当事者双方の主張

一、申請人の申請の理由

1  当事者

被申請人は学生の教育を目的とする学校法人であつて、札幌第一高等学校(以下単に「第一高校」という。)を設立経営し、申請人は昭和四一年四月一日第一高校の社会科の教員として被申請人に採用され、世界史の教科を担当していたものである。

2  解雇

被申請人は昭和四二年三月三一日申請人に対し入学生徒の減少に伴い教員を減少する必要があること、ならびに申請人が女性であることを理由として申請人を解雇する旨の意志表示をした。

3  解雇無効の理由

しかし、本件解雇は次の理由により無効である。

(一) 思想、信条による差別的待遇

本件解雇は人員削減を表向きの理由としているが、真実は申請人の思想、信条を理由としてなされたものであつて、憲法一四条一項、労働基準法三条に違反する。

すなわち、被申請人は常日頃から左翼思想を極度に嫌悪し、申請人の思想状況に注意を払つて来ていたものであるが、その結果申請人が左翼思想の持主であると断定し、申請人を学園より排除すべく学園経営の合理化に名を借りて本件解雇をなしたものである。したがつて右解雇は申請人の思想、信条を理由としてなされた差別的待遇である。

(二) 性別による差別的待遇

本件解雇は申請人の性別を理由としてなされたものであつて憲法一四条一項、民法九〇条に違反する。すなわち、被申請人は解雇理由の一として申請人が女性であり、教員を一生の仕事としなくともよいということをあげているが、これは性別を理由としてなされた不合理な差別的待遇である。

(三) 解雇権の濫用

本件解雇は解雇権の濫用として民法一条三項に違反する。

被申請人は解雇の理由として学園経営の合理化による人員整理をいうのであるが、申請人を解雇する一方、他方において多くの教員を新規採用しており、現に新年度の社会科の教員は不足している状態である。申請人が日頃から真面目に良く勤務し、生徒からの信望も厚い立派な先生であつたことは被申請人側も認めている。よつて本件解雇は客観的にみて妥当性に欠け何ら正当の解雇理由もなくなされたものであつて解雇権の濫用である。

4  賃金

申請人は本件解雇当時被申請人から一ヶ月金三二、五五〇円の賃金の支払いを毎月二一日に受けていた。

5  保全の必要性

申請人は解雇無効確認の訴を提起すべく準備中であるが、被申請人から支払われる賃金のみで生計を維持している労働者であつて本案判決確定までこのまま賃金が支払われない状態が続くと生活が破壊され回復し難い損害を蒙る。

6  よつて申請人は、申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定め、かつ被申請人が申請人に対し昭和四二年四月一日から本案判決確定まで一ヶ月金三二、五五〇円の割合による金員を毎月二一日限り仮に支払うべき旨の命令を求める。

二、被申請人の答弁及び主張

1  申請の理由に対する答弁

(一) 申請の理由1のうち申請人が本採用の教員であるという点は否認するが、その余の事実は認める。申請人は本採用されたのではなく試用者として雇傭されたものである。

(二) 同2のうち、被申請人が入学生徒の減少に伴い教員を減少することにしたこと、ならびに被申請人が昭和四二年三月三一日申請人に対し解雇の意思表示をしたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 同3の事実はすべて否認する。

(四) 同4の事実は認める。

(五) 同5の事実は争う。

2  解雇理由

被申請人が申請人を解雇したのは、同人の試用期間中における実績にかんがみ同人が生徒に対する充分な教授能力に欠けて居り第一高校教員として不適であると判断したためである。

(一) 第一高校は従来男子校として歩んで来て居り気の荒い面もあるが、明朗で素直な生徒が多い。ひとしく女教員でも他の女教員については問題の起きたことがないのに、ひとり申請人のみについては授業時間中にも拘らず教室内が騒々しくなつたことが屡々あり、そのため教務部長、副校長、校長等が数回にわたり申請人の受持教室に赴いて漸くこれを静めたこともあつた。これは生徒の申請人に対する信頼度が乏しいこと、同人の授業方法が拙劣であること、生徒に対する指導能力が欠けていること等によるものとしか考えられない。また申請人は学年末迄に終了すべき自己の担当の社会科の教科書もそれまでに完了できなかつた状態で申請人所属の教職員組合もその事実を認めている。以上の様な事情から被申請人としては申請人が生徒に対する教授能力に欠け本校教員として不適当と判断し解雇したものである。

(二) なお、被申請人としては右解雇に先立ち、申請人および申請人と同様試用期間中の教員のうち男子である訴外平本重隆、女子である訴外増永博躾の三名を教員として不適と認め、右三名に任意退職を求めたのであるが、その際申請人を除く右二名は任意退職したのに申請人のみこれに応ぜず、これがため叙上のとおり申請人を本校教員として不適であるとして解雇したのである。

第三、疎明

一、申請人

疎甲第一ないし第一一号証を提出。

疎乙号各証の成立(但し同第一〇号証は原本の存在及びその成立)を認めると陳述。

証人泉脩(第一ないし第三回)、同安川薫、同橋本脩司、同山川滋弥、同小野孝二および同森田正の各証言ならびに申請人本人尋問の結果を援用。

二、被申請人

疎乙第一号証の一ないし一一六、第二号証の一ないし一一一、第三号証の一ないし一一三、第四号証の一ないし一二八、第五号証の一ないし一一三、第六号証の一一三、第七号証の一ないし一一〇、第八号証の一ないし一一七、第九号証の一ないし一〇九、第一〇、第一一号証、第一二号証の一ないし一一三、第一三号証の一ないし三九、第一四号証の一ないし二五、第一五ないし第二二号証を提出。

疎甲第七および第九号証の成立を認め、その余の疎甲号各証の成立(但し同第四号証は原本の存在及びその成立)はいずれも不知と陳述。

証人小林吉春、同西島民雄および同永松武生の各証言を援用。

理由

第一、申請人の雇傭及び解雇

被申請人は学生の教育を目的とする学校法人であつて、札幌第一高等学校(以下単に「第一高校」という。)を設立し経営していること、申請人は昭和四一年四月一日第一高校の社会科の教員として被申請人に雇傭され、世界史の教科を担当していたものであること、昭和四二年三月三一日被申請人が申請人に対し申請人を解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

第二、本件雇傭契約の性質

そこで先ず申請人と被申請人との間の本件雇傭契約の性質について考察する。

原本の存在及びその成立につき争いのない疎乙第一〇号証の記載及び証人泉脩(第二回)の証言ならびに申請人本人尋問の結果によれば、被申請人には昭和三九年八月二〇日被申請人によつて制定され同年秋頃から施行された学校法人希望学園就業規則があり、同規則には第一三条第一項として「第一一条、第一二条の規定に定める手続により採用が内定した者は原則として勤務開始後一ヶ年以内を試用期間とする。」旨の、同条第二項として「試用期間は採否決定のためであつて、この期間中に学園が採用不適と認めたときは解雇する。」旨の、同条第三項として「試用期間を終え、正式に職員として採用された者は、試用開始の日をもつて採用されたものとする。」旨の、第三条但書として「第二章に定める試用期間中のものについては、特に定めのある場合を除き、職員に準じてこの規則を適用する。」旨の、第七七条本文として「学園は、職員が次の各号の一に該当するときは解雇する。」旨の、同条第四号として「試用期間中の者で学園が採用不適当と認めたとき。」とする旨の各規定のあること、申請人は前記のとおり学校に雇傭されるに際し採用関係書類とともに右就業規則を手渡され、その内容を一覧、承認のうえ学校宛に一年間の試用承諾書を提出して学校との雇傭関係に入るに至つたものであることが、それぞれ疎明され、右認定事実によると、申請人は前記就業規則第一三条に基づく試用者として被申請人に雇傭(試用採用)されたものと認めるべきである。

ところで右の如き雇傭契約(試用契約)は元来使用者が正規の職員として能力ないし適格性を有するか否かを試用期間中に判定することを目的とし、試用期間中は試用者において解雇ないし本採用拒否の自由を一方的に留保することを建前とするもので、前記就業規則第一三条第二項の規定もその趣旨にみられないでもない。しかし乍ら、前記疎乙第一〇号証の記載ならびに証人小林吉春、同西島民雄および同泉脩(第一回)の証言によると、被申請人が雇傭せんとする職員は原則的に試用契約を経ることになつており、しかも職員には教員のほか事務職員および主として現業作業に従事する用務職員も含まれ、これら各職種に応じた適格性の判定には自ら難易がある筈であるのに、試用期間は一律に定められており、またこれまで試用雇傭されたもので本採用されることなく解雇された事例は皆無であつて試用契約は被傭者として本採用に至るまでに経験すべきいわば一つの順路であること、試用期間は一ヶ年以内というかなり長期にわたるものであり、被申請人において右適格性判定のための特別の制度を設けていないのみか、試用者の職務および給与の点において本採用の職員と格別の差等を設けずに扱つている実情にあること等の事実が疎明され、これらの事実を考え合わせると、いわゆる雇傭安定の理念に照らし被申請人の行なう解雇ないし本採用拒否は無制限なものと解するのは相当ではなく、試用契約の目的に照らして制約が加えられて然るべきである。

然るときは、申請人と被申請人との本件雇傭契約は試用採用の日から一年間を試用期間としてその間に被申請人は申請人の教員としての適格性を調査判断し、その結果に従い申請人の本採用を拒否して本件雇傭契約を解約することができる権利を留保する反面、右解約権を行使することなしに試用期間を経過すれば当然本採用の効力を生じさせる趣旨の解約権留保を伴う停止条件付本契約であるというべきであるが右解約権の行使は第一高校教員としての適格性を消極に解すべき客観的合理的理由がある場合に限られるのであつて、この要件を欠くときは畢竟解約権の濫用として無効といわざるを得ない。そしてこの場合には、申請人は所定の試用期間の経過とともに停止条件を成就して本件雇傭契約に基づく本採用の教員たる地位を取得するものと解するのが相当である。

第三、本件解雇の理由

一、被申請人は試用期間中の申請人の実績にかんがみ、申請人が生徒に対する教授能力ないし指導能力を欠き第一高校教員として不適格であると判断したので同人を解雇したものであると主張し、申請人はこれを争うので、本件解雇が客観的合理的理由にもとづくものかどうかについて検討する。

成立に争いのない疎乙第一六号証の記載、証人泉脩(第一、第二回)、同小野孝二、同山川滋弥、同小林吉春および同西島民雄の各証言ならびに申請人本人尋問の結果を総合すると次の事実が疎明される。

申請人は昭和四一年三月北海道大学文学部を卒業し同年四月一日被申請人に社会科教員として試用雇傭され、同年度から第一高校の二学年の世界史の授業を受け持ち、同学年の二、七、九、一二および一三組で同教科を授業するようになつた。同学年の四、五、六、一〇および一一組については泉脩教諭が、一および二組については鳥羽講師が、八組については川村教諭がそれぞれ世界史を教授していた。申請人は当初二年一組の副担任を命ぜられたが、同クラスの世界史の授業を担当していない関係上約一週間後、同人が世界史を担当している二年一二組の副担任に換えられ、爾来同クラスの担任中村教諭を補助してホームルーム等クラス指導を行なつて来たし、また就職指導部に属し同部の他の教員とともに生徒の進路、就職等の指導に携つていたところこのような申請人の職務内容は本採用の教員と殆んど差がなかつたものである。申請人は担当の世界史の授業について各授業の終了毎に自己のノートに授業内容、生徒の反応、反省事項等を記録したりして自己の授業方法、教育方法の拙劣な点を常に反省するとともに、世界史の先任の教員である泉教諭や同じ社会科の同僚教員に相談してはその批判と助言を仰ぐなどし、時折り他の教員の授業を参観してはこれを参考として自己の授業方法の改善に努力しており校長および副校長も申請人の学識と研究熱心な態度は認めていた。

さらに申請人は授業終了後も生徒と共に教室の清掃を行なつたり、生徒の記入した学級日誌を多忙な同クラスの担任である中村教諭に代つて屡々閲読し、これに適切な担任所見を摘記するなど生徒の心を掴むよう努力していた。

しかるに申請人は昭和四二年二月八日月居人事部長から呼ばれて同部長室に赴いたところ、同人から「第一高校は入学生徒の減少に伴う経営難で困つているので先生方のうちどなたかにやめてもらわねばならなくなつたが、あなたは女性でもあるし、一生の仕事にしなくても良いのだからやめてもらいたい」と告げられた。申請人はこれに納得できず右申入を拒否したところ、同月二八日被申請人から正式に解雇予告を、同年三月三一日解雇の意思表示を受けた。申請人が加入している札幌第一高校教職員組合は昭和四一年一二月小林人事部長から昭和四二年春には人員整理をしたい旨の話を聞かされていたので同年一月の定期総会において新年度の運動方針の一つとして人員整理反対を打ち出し、同年二月七日この問題について理事者側に団体交渉を申し入れ、同月八日の回答に基づき翌九日第一回団体交渉を持つた。この間七、八日の両日に被申請人は申請人を含む九名の教師に退職の勧奨をした。そのうち六名は公立高校を定年退職後第一高校に勤務するようになつた高令の講師で、原告外二名は試用期間中の教員であつた。人員整理問題に関する団体交渉はその後回を重ねて続けられたが、席上理事者側の力説した解雇理由は生徒数の減少に伴う経営難であつた。そのうち、同年三月一一日までに申請人を除く他の八名は退職を承諾したので、団体交渉は申請人の解雇問題に焦点がしぼられ理事者側は組合の質問に対し試用期間中の教師一〇名のうちで解雇の対象にした三名は他の試用者に比して教員としての適格性が劣るからであると答えた。

一方以上の経過を被申請人の側からみると、被申請人は昭和四一年四月に普通課程の教員として原告を含む八名、工業課程の教員として二名を一ヶ年の試用期間を定めて雇傭したが、右期間の満了する前の昭和四二年一月中そのうち申請人を含む男子一名女子二名については本採用をしないことに決定し、二月七、八日頃その旨を申請人等に告げたところ、申請人を除く二名は任意退職を承認した。被申請人における右意思決定は、被申請人事務局の月居人事部長、小林吉春総務部次長が第一高校の校長および西島民雄副校長の意見を聴き、かつ協議した上理事長に上申し、その決裁を受けてなされた。第一高校では試用期間中の教員についてその適格性を判定するために特別の制度は設けられていないので、校長等の右意見は申請人に関し過去一ヶ年間に見聞した経験事実を基にして述べられたものである。右四名は協議の結果申請人については、同人の授業中であるにも拘らず教室内で生徒が騒ぐことが多いことからして同人が生徒より受ける尊敬ないし信頼が乏しく、畢竟同人の生徒指導能力が欠如しているとし、また校長等が申請人の授業を参観したときの感想、および申請人の教科書の進度が遅いこと、生徒の大学受験に際し世界史の選択が少なかつたこと等よりして申請人の教授能力に欠陥があるとして、申請人を解雇することに決したが、同人に退職を勧告するに当つては申請人の名誉を慮つて人員整理を表向きの理由にすることとし、前記のとおり同年三月三一日申請人に対し解雇の意志表示をした。

以上の事実が疎明され、泉証人の第二回証言中右認定に反する部分は採用しない。

二、そこで、以下右解雇理由とされた事実の存否ないしその合理性について検討する。なお、被申請人は本訴において申請人の解雇理由は人員整理ではなく、もつぱら申請人の不適格性にあると主張するので、この主張の当否に限定して判断を加えることとする。

1  教室内の騒々しさについて

いずれも成立に争いのない疎乙第一号証の一一六、第二号証の一ないし一一一、第三号証の一一三、第四号証の一ないし一二八、第五号証の一ないし一一三、第六号証の一一三、第七号証の一ないし一一〇、第八号証の一ないし一一七、第九号証の一ないし一〇九、第一二号証の一ないし一一三、第一三号証の一ないし三九および第一四号証の一ないし二五並びに証人泉脩(第二回)の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第八号証の各記載および証人泉脩(第二回)、同西島民雄の各証言および申請人本人尋問の結果によると、校長もしくは西島副校長は、昭和四一年度の学期中、授業中の校舎内を巡回した折、申請人担当の教室が非常に騒然たる状態であるのに各一、二度出会つたこと、申請人自身も時には授業中に生徒が騒々しくて困却した経験を有すること、一方各クラスの生徒が記載する学級日誌の反省事項欄には各教科の授業時間中の生徒の態度について記入されていることがあるが、申請人の行なう世界史の授業についても、「今日は騒がしかつた」旨或いは「静かであつた」旨等の反省記事が記載されていることを認めることができ、これらの事実によると申請人の授業中であるのに生徒が教室内で時によつてはかなりうるさく騒いだ事例が少なからずあつたものと窺い知ることができる。

しかしながら上記各証拠のほか証人永松武生の証言を総合すると、前記学級日誌には申請人以外の教師の授業時間についても申請人の場合と同趣旨の反省記事が屡々記載されているのみならず、第一高校は昭和三三年四月発足以来私立の男子高校としての道を歩んで来て、昭和四二年頃までは同校に学ぶ生徒は男子のみであつたせいか生徒の荒々しさ、教室内の騒々しさないし落着きのなさはかねて同校の一般的な現象であり、校長始め同校教員全部が常に対策に腐心する問題となつていたこと、そのためクラス担任、生活指導部長などによりホームルーム、学級日誌等を通して繰り返し教室内で騒がないよう生徒に対して指導が加えられ生徒も前記のとおり、授業中の教室内の騒がしさもしくは静粛さを常に学級日誌における反省事項の一つとしており、教室内の騒々しさは申請人の場合に特有のことではなく、多少程度の差こそあれ、他の教員の授業時間中にもみられたものであることが疎明されるのであつて、申請人の授業時間中における前記生徒の態度をもつて直ちに申請人の生徒指導能力の欠如を云々することは首肯できないものといわざるを得ない。

2  申請人の授業方法について

前記認定のとおり、被申請人が申請人の教授能力を評価するについては校長および西島副校長が申請人の授業を参観した時の感想に基づく意見を参酌したものであるところ、前記西島証人の証言および申請人本人尋問の結果によると、校長が申請人の授業を参観したのは昭和四一年四月から同年七月までの間の申請人が第一高校に勤務するようになつた極く初期に一、二度あつたのみであり、西島副校長は申請人が同年一〇月に行なつた研究授業を参観したのみであることが認められ、この程度の授業参観をもつて果して申請人の教授能力を十分判定し得られるものか疑いなきを得ないし、更に西島証人は右参観における感想として申請人の授業は個々の生徒そのものが生かされて居らず、生徒の能力に対応した形の授業がなされていないように感じた旨の証言をするが、右証言は抽象的で具体性を欠くばかりか、その授業の後に行なわれた批評会(研究授業の後にこれを参観した他の教師等による研究批評会が行なわれたことは、証人泉脩(第一および第二回)の証言によつて認められる。)においていかなる批評的意見が述べられたかに関する記憶が極めて曖昧であることを考え合わせると、前記証言が同証人の正確な記憶に基づくものか疑わしく直ちに採用できない。

してみると、被申請人の前記判断は客観的合理的な根拠にもとづくものとはいえない。

3. 教科書の進度について

成立に争いのない疎甲第九号証及び証人泉脩(第二回)の証言によつて真正に成立したものと認められる同第八号証、証人泉脩(第一、第二回)、同西島民雄および同小林吉春の各証言ならびに申請人本人尋問の結果によれば、第一高校では世界史の学期試験および実力試験は第二学年を通じ同一問題で施行するため、世界史の授業の進度については一部のクラスが特に進みすぎたりもしくは遅れすぎたりすることなく、大体において同一歩調をとるべく、かねて担当教員の間で教科書の進度の打合せがなされていたこと、昭和四一年度の同校第二学年の世界史の授業においては三省堂「高校世界史」新訂版(全二五四頁)が教科書として使用されて居り、申請人もこれに従つていたこと、申請人の受持クラスでは学年末までに右教科書全頁数のうち三組については二一八頁(全頁数の八五%、以下同じ)、七組については二一九頁(八七%)、九組については二一七頁(八六%)、一二組については二二〇頁(八七%)、一三組については二一七頁(八六%)がそれぞれ終了し、右五クラスの平均をみると教科書全頁数の八六%ないし八七%が終了している計算となること、これに対し同じく第二学年世界史担当の泉教諭の授業は一一組において右教科書の二三七頁(九四%)までを終了していること、教科書の進度は生徒側の教科内容の理解度と対応させなくてはならないところから、従来第一高校においては全教科にわたり教科書の全部が完了することは必ずしも要求されていなかつたこと、他の教科においても教員によつては教科書の半分ないし三分の二程度の分量を終了するのみの場合もあつたことが疎明される。

右認定事実によればなるほど申請人は、同じく世界史担当の泉教諭より少しく教科書の進度は劣るがその差は僅かであるうえ、泉教諭が教師として八ヶ年の経験年数を有して居るに比し、申請人は新任の教師であること、教科書を全部終了しないが第一高校の通常の事態であることを考慮すれば、申請人が特別に問題とされる程教科書の進度に遅れをとつていたと認めることはできない。さらに教科書の進度の速い方が好ましいとは一概に断言できず、授業を受ける生徒側の能力ないし教科内容の理解の程度に対応して適当な速度でもつて授業がなされることが望ましいのであるから、唯形式的な教科書の進度の大小をもつて教員の教授能力評価の基準とすることは相当ではないというべきことは西島証人の証言にもあらわれているとおりであつて、これらのことを考え合わせると申請人の前記教科書の進度を捉えてその教授能力を問責する合理的理由とはならないものというべきである。

4. 大学受験の科目選択について

西島証人は、申請人の教員としての不適格性を判断した重要な理由の一つは申請人が余り教育効果を発揮していないことであり、その根拠として申請人の教えた学年からは大学受験に際し他の科目に比して世界史を受験科目に選択する者が少なかつた点を挙げている。しかし昭和四一年度に世界史を学んだ第二学年生徒において、大学受験に当り世界史を受験科目として選択した者が、前後の年度に比して特別に少数であつたことを肯認するに足りる疎明はないし、仮にこれを認めるとして、それが申請人によつて世界史を教えられたクラスの生徒において現われた現象であるか否かは明確でないから、これをもつて直ちに申請人の行なつた教育の効果を云々することはできない。のみならず証人泉脩(第二回)の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第一〇号証および右証言によれば、かえつて、昭和四一年度第二学年の学期試験の成績について泉教諭の教えた五クラスと申請人の教えた五クラスの各クラス平均を比較すると、申請人受持クラスの平均成績は泉教諭受持クラスのそれと等しいか、或いはより高いことが疎明されるのであつて、被申請人が前記のとおり、申請人の教育効果が低いと判断した根拠は極めて薄弱なものといわざるを得ない。

三、以上の次第で、被申請人が申請人を不適格と判断した理由はいずれも十分な根拠がない。このことは、とくに、本件の場合申請人が教員免許状を取得した有資格者である(このことは弁論の全趣旨に照らして明らかである)からその教員適格性の判定に当つては、右のごとく申請人が教員としての能力、技術等教員としての資質において一定の水準に達していることを公認されている者であることや、その職務の特殊性から教員としての教授能力、生徒指導能力、教育管理能力等の判定は短期間には容易に行なわれ難いものであること等の事情をも十分考慮して検討すべきであること、すなわち新任の教員につき一ヶ年の短期間内に、その教科の教授ないし生徒指導により明らかな教育効果が生じないからといつて、当該教員に教授能力ないし教育管理能力が欠けていると速断することは相当でなく、更にその将来における習熟可能性、本人の技術的向上への意欲、職場における協調性等諸般の事情をも総合考慮する必要があることを併せ考えると、尚更のことといわねばならない。これを要するに被申請人が申請人を解雇する理由とした前記不適格の判断は極めて根拠薄弱であつて、客観的合理的理由にもとづくとはいい得ないから、かかる判断にもとづいて被申請人が申請人を解雇しようとするのは、結局権利濫用にあたるものとして無効と言わなくてはならない。

第四、申請人の雇傭契約上の地位

そうすると申請人は前判示のとおり所定の試用期間の経過した昭和四二年四月一日をもつて第一高校の本採用教員たる雇傭契約上の地位を取得したものというべきである。しかして本件解雇当時申請人は学校から一ヶ月三二、五五〇円の賃金の支払を受けており、その支払日が毎月二一日であることは当事者間に争いのないところであるから、学校は申請人に対して昭和四二年四月一日以降毎月二一日限り一ヶ月三二、五五〇円の割合による賃金の支払義務がある。

第五、保全の必要性

申請人本人尋問の結果及び証人森田正の証言によると申請人は学校から受領する賃金を唯一の資源として生計を維持しているものであることが認められ、本案判決の確定をまつていてはその生活が破壊され回復し難い損害を蒙ることは明らかであるから本件仮処分はその必要性がある。

第六、結論

よつて申請人の本件仮処分申請はすべて理由があるから保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

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